マタイ受難曲(Matthaeus-Passion) 162回目の公演 2005年6月30日(木)
音楽 | ヨハン・セバスチャン・バッハ |
振付・演出・舞台美術 |
ジョン・ノイマイヤー |
演奏 | テープ録音※ |
No.1 |
アンサンブル |
No.2 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルーユング |
No.3 |
アンサンブル |
No.4 |
カッツァニガ、ラウデール |
No.5&6 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルーラウデール |
No.7&8 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルーラウデール |
No.9&10 |
カッツァニガ、メグラビアン、リアブコ |
No.11 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルーユング |
No.12 |
ユルゲンセン、ラウデール、ブーローニュ |
No.13-15 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルー |
No.16 |
アンサンブル |
No.17 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルー |
No.18 |
アッツォーニ |
No.19 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルー |
No.20−24 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルー |
No.25 |
ファスクートディノフ |
No.26 |
ディングル、J.ブベニチェク、O.ブベニチェク |
No.27 |
リギンズ |
No.28&29 |
リギンズ、リアブコ、服部、アレクサンドロフ、メグラビアン |
No.30&31 |
リギンズ |
No.32 |
アンサンブル |
No.33 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルー |
No.34&35 |
アンサンブル |
No.36 |
ユルゲンセン、ブーローニュ、ボーシェール、ラウデール、ベーレンド、マンクーソ、クック、カナト−リ、ジョンストン |
No.37-39 |
ボーシェール、O.ブベニチェク、 |
No.40&41 |
J.ブベニチェク |
No.42 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルー |
No.43 |
ドセフ、バロン、ホール、コメスタッツ、ボナーニ、ダン、クレスポ・ロペス |
No.44 |
アンサンブル |
No45&46 |
ディングル と アンサンブル |
No.47 |
ディングル |
No.48 |
ボーシェールーリアブコ、ディングル、アレクサンドロフ、メグラビアン |
No.49&50 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルー |
No.51 |
ユング |
No.52 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルー |
No.53 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルー |
No.54 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティルー |
No.55 |
ハウレット、メグラビアン と アンサンブル |
No.56 |
リギンズーユング、カッツァニガ と アンサンブル |
No.57 |
アッツォーニ |
No.58 |
アッツォーニ、リギンズ |
No.59 |
リギンズーユング、カッツァニガ と アンサンブル |
No.60 |
ユルゲンセン |
No.61 |
ユルゲンセン、ブロードハースト、ポリカルポヴァ、ブシェ−、 |
No.62-64 |
リギンズ、O. ブベニチェク、ドセフ、メグラビアン、リアブコ、アレクサンドロフ、服部 |
No.65&66 |
リギンズ、ユング、ファスクートディノフ |
No.67&68 |
アンサンブル |
No.69 |
カッツァニガ |
No.70 |
リギンズ、カッツァニガ と アンサンブル |
No.71&72 |
リギンズ と アンサンブル |
No.73 |
リギンズ、レヴァツォフ、ティル と アンサンブル |
No.74 |
アッツォーニ、ディングル |
No.75 |
アッツォーニ、ユルゲンセン、カッツァニガ、ディングル、J.ブベニチェク、ファスクートディノフ、メグラビアン、リアブコ |
No.76-78 |
アンサンブル |
今回のユダはカーステン・ユングでしたので、さてはイヴァンは怪我でもしたのかしら、と思っていましたところ、アンナ・ポリカルポヴァを迎えにきたイヴァンに出会ったので、どうしたのですかと聞いたところ、ニジンスキー・ガラのマーラーのリハーサルをしていたとのことでした。そのお陰かアニエス・ルテスチュとのパートナーシップはなかなかのものでした。
また、バーデン・バーデンでマタイ受難曲が録画されたとのことでしたので、ラ・フィーユ・マル・ガルデの後で、アレクサンドル・リアブコにあなたは何の役を踊っているのですか、と聞いたところ、兄弟の役だとのことで、さらにヨハネは、と聞いたらロイドだとのことでした。キリストをノイマイヤー自身が踊っているので、ロイド・ファンの友人はがっかりしていたのですが、私も彼女も大喜び。ロイドとサーシャの兄弟の役は甘く切ないので睡魔に逆らえない二人はぴったりだと思うのです。もちろん、イリ・オットーは本当に兄弟なのですからぴったりといえばぴったりではあるのですが、彼らだった眠らずにいるだろうと思ってしまうのです。
つい、あまりにも嬉しかった情報でしたので、上記のようなことを先に書いてしまいました。
十字架の役がアレクサンドル・リアブコで、私としては彼がマタイだろうと思っています。
ヨハネ/イリ・ブベニチェク、ヤコブ/オットー・ブベニチェクでこれは使徒の兄弟。もちろん悪くは無いのですが、上記のようなことを考えてしまうのです。
ペテロはピーター・ディングル。初めて彼をペテロで見たときはピーターだからペテロはないよね、とか、少し不器用な印象を受けたのですが、昨年はとても良くなり(私が単にわかんなかっただけということもありましょうが)、今年はさらに良くなり、涙が流れてしまいました。ペテロの苦しみ、悲しみが痛いほど伝わってくるのはもちろんですが、ピーターの成長も大変嬉しいのです。役が深化していくのをこの目で見た思いです。付け加えれば、香港公演でのピーターのペテロはとても良かったと、他の共同執筆者はいっていましたから、単に私が観た日が彼の調子が悪かったか、私の見落とし、ということも十分に考えられます。
カーステンのユダは初見でしてたが、ユダの弱さの表現という面が少し弱かったかなあという印象を受けました。初期のイヴァン・ウルバンのようにいつユダが自殺したの?、ということは無かったのですが、踊りこんでいない役というのは、時にして表面を流れていくのだなあ、ということなのでしょう。
カーステン・ユングがユダ/ピラトを踊ったので、第25曲のシモンはファスクートディノフが踊りました。群舞の中では目立っていた彼ですが、これを踊るにはまだまだ踊りこまないと、というところでしょう。
ラビたちはあまり重要な踊りはないためか、アンサンブルの若いダンサー諸君が振り当てられることが多いのですが、今回ロリス・ボナーニがひげをたくわえて踊っていたので(ラビにひげがあっていいのかどうかしらないけれど)、ラビ全体がひきしまっているように感じました。
女性ダンサーではラウラ・カッツァニガの精神性にいつも感動させられます。
ロイド・リギンズのキリスト役はもう言葉がありません。彼のまなざしの優しさはすべてを包み込んでしまいます。
※1980年3月29日、聖ミヒャエリス教会で北ドイツ放送(Norddeutschen Rundfunk)によるライヴ録音
指揮 ギュンター・イェ−ナ
ペーター・シュライヤー(テノール、福音史家、アリア)、ベーレント・ヴァイクル(バス、キリスト)
白井光子(ソプラノ)、マルガ・シムル(アルト)、フランツ・グルントへーバー(バス)
この項続く